日本にはたくさんの大学がありますが、その存在意義についてはしばし議論されています。今回は、日本の大学制度の歴史を簡単に見て、その価値について考えていきます。
日本の大学制度は160年程度の歴史しかない
世界最古のボローニャ大学は、西暦1088年の設立とされており歴史が古いですが、日本では西暦1878年に帝国大学(現東京大学)が初めて大学が認められました。
慶應義塾大学は1858年にできたそうですが、それでも日本において大学の歴史は160年程度しかありません。
当時は大学に通う人間なんて限られてましたから、それなりに特別な人財であったわけです。
(帝国大学(国立大学)の設立目的は政府官僚といった国家に奉仕する人財を養成することにあり、私立大学は反政府的な個人によって設立されてきた背景があります。)
大学制度の普及
面倒なので飛ばしますが、大学制度が普及して今では約6が大学に進学しているそうです。50年ほど前は10%程度でしたから、かなり普及したと思います。
日本全国に大学があり、最悪偏差値35程度とお金さえあれば大学には通えるようになりました。昔は頭と金がないと(最悪金のみでいけた)大学への進学は難しかったと思いますから、かなり敷居が下がりました。
進学率の増加は大学の増加が影響していると考えられていますが、今では750校前後?ほど存在しているそうです。
グラフを見た感じだと、市場としては成長期から成熟期に入ってきたところでしょうか。(大学がここまで普及した要因としては色々とあると思いますが、ここでは割愛します。)
大学の価値について考えると、コモディティ化によって相当下落しました。大学設立からしばらくは「大卒=すごい」となっていた時代かと思いますが、今では大卒でもブランド価値がなければ苦笑いされてしまうようになりました。
政治的意図は置いておいて、大学はTOEICなどと同じように人をラベリングする資格ビジネスですから普及してくればこうなります。
シリコンバレーの起業家周辺では、大卒で就職した人間は「大学を卒業するまでにビジネスアイデアが思いつかなかった(何も実行できなかった)負け犬」と見られます。MBAまでとったら「経営について学ぶ時間があるなら、実際に起業した方が良い。君はどんだけ無駄な時間を過ごしてきたのか。」と鼻で笑われます。
IT化の波に対応できている大学は少ないように見えますので、もう10年もしない内に新しいシステムに切り替わっていくのではないでしょうか。大学自体がなくなるには時間がかかると思いますが、競争力の乏しい大学が消えていき、それと同時に進学率も低下していくことが予想されています。
今はまだ効力があるので学歴を否定することはできませんが、価値観が変わってきていることを理解しておきましょう。
参考:大学進学率をグラフ化してみる(2016年)(最新)
参考:第36回 「なぜ大学進学率が50%を超えたのか? -大学進学人口と大学数との関連-」
日本の大学制度については著名人からも否定的な意見が多いです
堀江貴文氏(通称:ホリエモン)
『確実にいらないですよね。学生にしてみたら、就活をすることで自分の人生を、自分で決められない要素を増やしているにすぎない』「大学なんて行くだけムダ」 お騒がせホリエモン節に甲論乙駁
茂木健一郎氏
『客観的に言いましょう。日本の大学はオワコンです。
それは明らかだ。日本の大学関係者の方々、ごめんね。事実だから。ただ、それはお前らの学びとは関係ないんだよ。勝手にやりゃいいんだ。』茂木健一郎氏「客観的に言って、日本の大学はオワコン」自分で学びをコントロールすることが必要
批判的な思考のことをクリティカルシンキングと言います
こういった著名人の意見を聞くと
- あぁ、大学って価値ないんだ
- いや、学歴ないと有名な企業には入社しづらいだろ
などと言った反応が必ず出てきます。
とはいっても、
- 学歴があったおかげで就職したい企業から内定をもらった
- 学歴がなくても年収1,000万円以上もらってる
などと学歴があった成功事例も学歴がなくてもうまくいってる話はいくらでもあります。
要は、一学生として考えるとどちらも正しいしどちらも間違っている場合があるわけです。(議論する際には学生の意見としてではなく社会システムとして必要かどうかという視点で考えなければなりません。)
こういった批判的な意見を自分に置き換えた時に、個人としては主張をただ鵜呑みにするのではなくどのように取り込んで行動に移していくのかが大切です。